廃墟「松尾銅山跡」
Exif情報
メーカー名 CASIO COMPUTER CO.,LTD.
機種名 EX-Z300
ソフトウェア 1.00
レンズ
焦点距離 6.9mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/500sec.
絞り値 F3.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 64
ホワイトバランス Unknown(1)
フラッシュ なし
サイズ 2304x1728 (1,575KB)
撮影日時 2009-09-12 10:40:46 +0900

1   MYCA   2009/9/22 16:11

ボタン様 
コメント有難うございます。
かつては、雲上の楽園と言われていたようです。

2   MYCA   2009/9/22 16:18

Seichan様 今日は
コメント有難うございます。
コンクリートのアパート群です。
崩れもせずに廃墟として残っていたのには驚きました。
私もTVで見た「軍艦島」を思い出していました。

3   MYCA   2009/9/22 09:22

八幡平から広大な原生林をひた走り、来た道を戻ります。
と・・・コンクリートの廃墟が・・・現われました。
かつて東洋一の硫黄鉱山「松尾銅山跡」です
鉱山が昭和47年に閉山された後は、鉱山街は放棄され、鉄筋コンクリート造りの大規模な集合住宅の廃墟などが、高原に立ち並んでいました。
全部で11棟建てられたこのアパート群は、松尾鉱山繁栄の象徴としてヤマの上に聳え立ったのです。
栄枯盛衰を感じます。

動画で全体を見ることが出来ます↓↓。

http://www.youtube.com/watch?v=WEa2eLDnP1w&feature=player_embedded

4   Hiroshi Nozawa   2009/9/22 09:31

お早う御座います。

 此処の町内にも銅山の廃鉱があります。
建物は有りませんが今も黄銅鉱の成分を含んだ水が廃鉱辺りから流れてきています。
 何処の鉱山も、日本の鉱山はコストが合わないのですね。

5   ボタン   2009/9/22 10:44

MYCA さん お早うございます。
これはかっての労働者のアパート群の一角ですね。
エネルギー変換で石炭から石油へ移行して炭鉱が閉山していった
のと同じで硫黄も石油から精製できるので、このような運命に
なってしまったのでしょうか。

現代版「夏草やつわものどもが夢の跡」と言ったころでしょうね。
このなかには人間のいろんな思いがある、怨念がある、もしかして
幽霊は出ませんでしたか(笑)。

6   ボタン   2009/9/22 11:00

MYCA さん 追伸です。
タイトルは「松尾銅山跡」となっていますが「松尾鉱山」では
ありませんか、松尾鉱山は硫黄を採掘するやま(鉱山)だった
ようです。

7   Seichan   2009/9/22 11:33

MYCAさん おはようございます。
硫黄を採掘していた「松尾鉱山跡」ですか。今も残って
いるのですね。山の上に聳え立つアパート。当時として
は近代的なビルだったのでしょうね。廃墟は時代の変化
を象徴する風景ですね。同じような「軍艦島」を思い出
しました。

8   MYCA   2009/9/22 16:02

ボタンさま
皆様 

今日は

銅山ではなく鉱山です。
ご指摘有難うございました。
私のミスです。

9   MYCA   2009/9/22 16:06

Hiroshi Nozawa様 今日は
コメント有難うございました。
岩手を流れる北上川にも、かつては、硫黄を含んだ水が流れていて、水の色が土色に濁っていた時期がありました。
今はきれいです。

10   gokuu   2009/9/22 17:43

MYCAさん こんにちは〜〜
まさしく廃墟ですね。取り壊しの費用も無かったのでしょうね。
お城の廃墟なら価値ありですが、当時を知らない人には、只の廃
墟としか写りません。過去がどうであれ、インカ帝国とは違います。
日本鋼管が福山進出当時建てられた社員住宅アパートは10階建て
100世帯の大型ビルが何棟も。それが現在は全部取り壊されました。
ビルの廃墟は怖いです。お化け屋敷に。です。取り壊されて緑が
戻って居ます。元々山の上なのでスッキリしています。

11   MYCA   2009/9/23 09:45

gokuu様 お早うございます
コメントありがとうございます。
「Wikipedia」では、
現在はそれらの建物が山中に廃墟として残った。
1990年(平成2年)に写真家の丸田祥三が廃墟化した松尾鉱山を写真集に収め、それがニュース番組のイメージショットにも使われた。
松尾鉱山はたびたび心霊スポットとしてテレビでも紹介されている。
おもに廃墟となったアパート群がその舞台となる。
とありました。
私たちは、全然知らずに通ったのです・・・。

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