雑感
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/197sec.
絞り値 F9.9
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x912 (1.88MB)
撮影日時 2015-03-01 08:48:51 +0900

1   kusanagi   2023/5/3 21:35

私の現在のデシタル写真とは、もう画像とか写真なんかは関係なくて、カメラを持って撮影として野外
で歩くこと。その一言になっています。
私のデジタル写真とは歩きなんです。もうそれ以外の何物ではなくて。
それは高度情報化社会たるIT機器への対処そのものとまったく同じです。つまりそういう環境下では
運動不足と眼精疲労(脳疲労)があるわけなんです。それへの対処をすること。IT技術者は余暇には
運動、とりわけ自然環境下での運動を好みます。それでも彼らの職業寿命は短いですね。
具体的に言えば、電子機器類から発する電磁波や静電気環境、そしてモニターやスクリーンというも
ので見るわけですがそういうVDT症候群への対処であるわけです。極度のまでの人工環境下では
まともに人間というのはストレスで生きていけないということです。

余談ですけど、IT技術者がまだ少数だった時代。パソコン出現以前の70-80年代ではプログラマーが
よく飛び降り自殺をして問題となりました。メインフレームやオフコンの時代です。
最近は車が荒地でも走れる走破性のよいSUVというのが人気ですね。クラウンもそれになりました。
ひとつは先進国以外でも車が普及するようになったことですが、先進国でも大人気なのは、IT技術の
一般化によってオフィスでは皆がIT技術者になったからです。彼らは余暇で大自然に入ることを好み
ます。

カメラを出汁にして健康維持として歩くこと。それで身体の健康と体力維持、そして脳力を保つことな
んですね。これはもう過去のフィルム写真時代とは隔絶の感のある変貌となっています。
いまだに写真の美学がどうのこうのと言う時代錯誤な人がおられますが、そういう人は写真として
歩いていない人ですね。
高度情報化社会では、写真は画像でも美学でもなくて何よりも自分の健康維持への対処が第一の
課題となっているわけです。写真とは狩猟採集文明への立ち返りであるということを言いましたが、
そういうのは現代の情報化社会では何よりも大切な課題となっているからです。

また余談ですけど、この掲示板で成功している板はMN板です。投後者にはIT技術者もいますね。
そして自然環境での撮影、ネイチャー写真を好んで撮影されています。そして面白いことに、光学
一眼レフで今後も行くよってアナウンスしているペンタックスの愛好者が多いです。
彼らの写真は美学的にはそう凝ったものではなく、とにかく被写体との出会いを大切にしていると
いう気がします。

シッポ座さんか面白いことを言っておられました。写真を撮ることで自分の足を使い確認するという
作業は考古学にも似ている・・・ 
考古学、とりわけ現場の発掘は、埋もれている遺跡や遺物を見つけるには、非常に注意深く現場を
歩いて観察しないといけませんね。予算と期限の関係で滅多やたら掘ることはできませんから
そこは観察力の勝負なんです。夢に出てきたところを掘ると遺跡が出できたという話もあるほどです。
夢にでるほどよく観察して考えていたということでしょう。
私も実際に発掘作業に一時携わったことがありますが、それは歩き写真とよく似ていて、良い写真が
撮れるには時の流れ上の山というのがあって、また当然にスルーするところも多々ありの中で、
よい被写体の鉱脈に行く着く、めぐり合う時というのが不思議にあるんですね。
これが歩き撮影の醍醐味です。歩き撮影とは、人が関心もなく無視しているところも歩きまわって、
とにかく自分で鉱脈を見つけることだと考えています。そうすると一回の撮影でどこかでひとつは
お宝に出会うことができます。写真のお宝をゲットできるというわけ。(笑)

そもそも写真は他人が見つけたものをコピーするように写真することではありません。自分の被写体
は自分で見つけること。これは昔も今も変わらない真実です。それを本来の写真というのですが。
誰もが撮影する観光地の場所に行って人と同じような写真を撮るのは(同じスポットで同じ角度で)、
写真とは言わなくて模倣というのです。素人さんがよくやる手ですね。ポスターと同じ写真が撮れて
嬉しいというような。

とにかくデジタルな現在では、写真を画像として美学的に求めるということは時代錯誤になっていま
すし、綺麗に撮ろうとすること事すらも意識の遡上にのらないことがあります。
この掲示板を長く見てきて、そういう画像主義や美学意識ということをやっていた方々は退場して
きました。もうそのような方はいなくなり残ったのは率直に写真として向き合おうという方々ばかりに
なりました。
たぶん、これが本来のデジタル時代の写真なのではないかと私は考えます。ノスタルジックに写真
を考えている方は、私のコメントや写真を批判されますが、それは間違いです。その証拠に荒らしの
批判者は自分の写真を投稿できていませんし、おそらくもう写真撮影すらもやっていないでしょう。

現在のデジタル写真というものを良く考えて適切に対処していかないと、写真が続行できないという
だけでなく、身体や精神すらも蝕まれることになります。取り返しのつかないことすらも起きます。
写真は魅力的なものですが甘くはないんです。

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