遠望
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 645D
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 160mm
露出制御モード 低速プログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F13
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 1600
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1536 (2.3MB)
撮影日時 2010-01-04 01:20:15 +0900

1   kusanagi   2024/1/28 22:36

「氷点下」のお写真、良い雰囲気を出されてますね。撮影地は相当に寒いところと推察しました。
私のほうは温暖な瀬戸内の香川ですので、よほど山間部に行かないとこのようなシーンは見られ
ません。

一度、四国石鎚山に10㌔ほどの機材を抱えて登ったことがあります。これは堪えました。(笑)
それ以降は出来る限り軽くして登りますが、数百メートル程度の里山ではデジイチを持っていきます。
バッテリーグリップはいつも装備しています。これは登山中、常に手にカメラを持つ為で(肩には掛け
ずで)、右手でも左手でも交互にカメラを持ちやすくする理由からです。
手に常時カメラを手にもって歩くというのは、その方が楽だからです。体のバランスが取れるんです。
まあ、カメラが杖の役割をするんではないかと思ってます。

最近はイノシシが多くて、抑止力?のためにと自作の杖を持つ場合もあります。その場合はカメラは
肩掛けです。自作杖は樫の木を削り先端に金属を付けたもの。無いよりはあったほうがまし、という
程度のものですが、杖でもカメラでも、手に何かを持つということは、そもそも人も昔は四足動物であっ
たわけで、前足と後ろ足の両方を使うのが正常な姿だと思うんですね。後脚だけで歩くというのは
無理があると思ってます。
そういうことで歩きには、必ずカメラか何かを常時手に持って撮影しています。


https://www.minamitohoku.or.jp/kenkokanri/201109/panic.html
こういうやつですか…
つぶあんさん、どうでしょうか。その病気を克服しようとする気持ちはおありですか。
若い頃のように再び元気で生きたいと心の底から願いますか。
もしそうだったら、私にも少しは手助けというかアドバイスができるかもしれません。
しかし本質的には自助努力、天は自ら助くる者を助く、なのであって、他人がとやかくすることは
できません。つぶあんさんの人生はあくまでつぶあんさん自身のものであって、また、つぶあんさん
のような人は世間には数多くおられるでしょうから、あえて巷に埋没するというのもひとつの選択肢
かもしれませんね。
私には何とも言いかねますが、人の運勢というものを長く研究するにつれ、他人が何かを言うもの
ではないということもよく分かっているつもりです。その点はネットで交流する場合は気持ち的に
重くなくてすみます。



私は長い間、西洋占星術というものに親しんできました。これをつぶあんさんが考えているような
普通の占い、と捉えてくれると大きな間違いがあります。アストロジーと言われますが、これを本格的
に出来る人間はそんなにいません。ネットで見かける占星術のレベル詰まらないです。
私は基本的に理科系の人間です。役に立たないこと、まどろっこしいことはしない人間です。
それで小説などは読めないんですね。(笑) 若い頃は皆が読んでいるからと文豪の小説などを
読んではみましたが、正直、わからんな、という感想しか出ませんでした。
小説家を志しているつぶあんさんには聞きづらいでしょうけど、そういう人間もいるということで
了承してください。だからと言って私は小説を否定しているというのではなく、私とはやり方が違うと
いうだけで、小説を必要としている人も多くおられるわけだから小説の存在意義は勿論あるのです。

もし、つぶあんさんが子供のころからずっと虚弱であったならば、私はこの文章を書きませんでした。
遺伝子欠陥レベルだと手に負えませんから。
でもそうではなかったですね。富士山にも登り(私は登っていない)、高校生のころはアウトドア部に
おられた。当時は人前以上に元気で体力がお有りだったということです。
つまりは基本的な体力は充分にある。それは潜在していて、しかし現在はそうではない、ということ
てす。だったら元気な頃のように回復する可能性は充分にあるのだということですね。というか
回復すべきだと思っています。
これが高齢者だと充分な回復は時間が足りず難しいですが、40歳代だとまだまだいけます。まだ
人生は半分しか消化していないですから。

つぶあんさんは文章が書けますし、人の文も正しく読めます。これがダメだとネットでコミニケーション
ができませんから。この利点で、充分にネットでも遣り取りができるというのもミソです。人並み以上に
知力がないとどうしようもありませんから。
この知力というもの。これは生まれつきです。しかし体力や健康度は人生において上がり下がりが
あるのです。虚弱児が健康優良児になれるように。しかし知力知能に関してはそれができません。
人間はこの知能のお陰で身体を制御できているのです。万物の霊長といわれる所以ですね。

ところで、人の人生の運勢において、どんな人でも上がり下がりがあるというのは感じませんか。
私は偉人の伝記物を読むのが好きです。そこには一本調子の人生なんて存在しません。ちょうど
山道を歩くように人生には上がり下がりがあるのです。実際に山登りをしても登りはきついですね。
延々と上り坂が続くと苦しく嫌になります。でも水平に道になると途端に楽になります。下りも楽ですし。
山々を縦走していますとそれらの上がり下りの連続です。

ですから今の情況が全てではなく、何時かは良い時も悪い時も終わりがあるのです。始まりがあれば
終わりもあるというのが人生です。私は理系の人間ですから、物事の全てには原因があり、そして
結果があるという考え方をします。原因のない結果などはないのです。小説でも粗筋はそうではあり
ませんか。
つぶあんさんの現在の虚弱は、その人生において何時かどこかの時点で、そうなるべき原因を作り、
その結果が今の自分であるという風に考えられませんか。
起承転結という言葉もあります。これは原因と結果の間に転記を入れたものでしょうか。少し複雑化
したものでしょう。

私には原因がないのに結果が出るということは絶対に考えられないことであって、そういう非合理な
精神主義をとりません。昔は元気だったつぶあんさんが現在はそうではない、というのには、これまで
の人生において、いつかどこかの時点でマイナスに転機をしたということです。
その転機の時点を、記憶をたどって見つけださなければなりません。それには知能が必要です。
どんな些細なことでも見つけ出さなければなりませんね。えっ?こんなことが転機の原因だったの?
というくらいの気持ちでないと。
神は細部に宿ると申します。小さな細部が全体を制することがあるというのが技術屋の心構えです。
たった1本の小さなビスの欠陥で高価なロケットが失敗するのです。それよりも、もっともっと複雑な
人間の身体では、そんなのは常のことです。

私は人間の身体を医学よりももっと基本的な、フィジックス、物理学で捉えることにしています。
人は基本的に物質物理現象に過ぎないという立場です。物質と生命は基本的には同じ現象です。
しかし生命には、物質以上の何かがあり、遺伝子という情報理論が付与されていますね。それで
より一層複雑になっています。たとえば知能などはほぼ受け継ぐ遺伝子で決まります。そして遺伝子は
数学的な確率論で受け継がれます。発生的に百人に数人は秀才であり、何人かは知能が劣ります。

パニック障害になる人は、そういう傾向になりやすい生まれつきの生命情報を持っているということ
でしょうか。何の病気に限らず大本のところでは遺伝子的です。しかしそれはどんな人でも、どこかに
欠点があるということであって、それは重篤でない限り、ごく当たり前のことでもあるのです。
そういうマイナス点を抱えながらも、人はそれを補うプラス点でもって人は正常に生きているのですね。
例えば、国家においては国民経済が向上すれば種々の問題は大体は解決するということで、政府は
何よりも経済発展を願いますね。政経と言って政治とは経済で成り立つという具合です。

どうでしょか。私の言っていることが多少はご理解いただけたでしょうか。つぶあんさんがこれまで
親しんできた思考法や知識体系とはまるで違うだろうと思います。
しかしこういう発想ができないと、この世界の仕組みというものは、なかなか見えてこないところがあり
ますね。
私が本気で言うことを理解できる方は稀です。百人のうちの一人くらいのものです。大部分の人は理解
ができないようですね。ですから私の書いていることが分からなくても何も問題はありません。それが
普通なのですから。
それでもし、心の琴線に触れるようなところがあれば、この掲示板に書いてください。

2   つぶあん   2024/1/29 03:06

こんにちは。
おっしゃること、よく分かるのです。
私がこの病気を発症したのは高校1年生のとき。
担任の先生のパワハラと暴力とクラス内のいじめが原因でした。
また、私は虐待もされていて、経済的に自立出来ていない私はその親と一緒に暮らすしかないという現状なのです。
ところが私には身内扱いしてくれるお寺があります。
住職は冗談交じりとはいえ3回も「お寺を継がないか」と言ってくださりました。
私は「お坊さんになるのはなぁ」というのが正直なところでして、でも自分が世間と離れているとも感じているのです。
春になったら花祭りがありますから、それまでにどうするか決めようと、いまはのんびりとした気持ちですが。

ところで今回の写真、645Dなのですね。
レンズを含めると2Kgぐらいありますよね。
標高、高いですよね。
お元気だぁ。

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